『正倉院紀要』第45号が刊行されました
『正倉院紀要』第45号が刊行されました。下記サイトから全文閲覧可能です。
https://shosoin.kunaicho.go.jp/bulletin/
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**** 目次 ****
正倉院聖語蔵(旧尊勝院経蔵)調査報告……清水真一・藤井恵介・春日井道彦・中西将
正倉院聖語蔵(旧尊勝院経蔵)の年輪年代……星野安治
中世の経蔵における聖教・文書の収納状況……藤井恵介
正倉院漆六角厨子復原考察……大野敏
正倉院の絹の分子量……中村力也
年次報告
いわゆる「常陸国戸籍」について……三野拓也
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五月一日経や今更一部経を含む『聖語蔵経巻』を収蔵していた聖語蔵(旧尊勝院経蔵)について、3本の論文が収載されています。
聖語蔵はもとは東大寺境内西北隅部に位置する尊勝院経蔵でしたが、明治29年(1896)ごろに内部に収められていた経巻類とともに皇室に献納され、現在地に移築されました。「正倉院聖語蔵(旧尊勝院経蔵)調査報告」は令和2年度正倉院特別調査として実施した聖語蔵の構造調査(建造物調査)の報告です。尊勝院の沿革、聖語蔵の建立と修理・移築について概括し、建築の形式・技法を詳細に検討しています。
「正倉院聖語蔵(旧尊勝院経蔵)の年輪年代」では、校木・軒天井・台輪・棚板の計55点の年輪年代を特定しました。すなわち聖語蔵の建造物部材は1235年以降それほど経たない時期、内部経棚の棚井板は1126年以降それほど経たない時期にそれぞれ伐採された木が使われたことが判明しました。
国内に現存する古代・中世の経蔵では経を納めた経棚はほぼすべて失われていますが、聖語蔵では入口の扉を除いて、内側の壁の全面に沿って経棚が設置されています。「中世の経蔵における聖教・文書の収納状況」では、春日大社一切経経蔵・醍醐寺経蔵・般若寺経蔵・藤原頼長の文倉の内部構造や収納状態と比較したうえで、聖語蔵では棚の間隔がほぼ同じであるため、比較的低い経箱に収められた聖教を収納することが想定されていたこと、また最下段は高さが大きいので櫃が置かれてたことが推定されると述べています。
「正倉院漆六角厨子復元考察」は朽損によって部材片となった漆六角厨子を、調査と復元考察によって、その具体的形態をあきらかにしています。「正倉院の絹の分子量」では絹フィブロインの分子量の測定した結果、正倉院の絹染織品は目視ではしっかりした形を保っているものの、フィブロインは低分子化しており、物性が低下し、脆弱な状態にあることを述べています。
「いわゆる「常陸国戸籍」について」は、塵芥文書第三十二巻の第一紙から第六紙、および二十九片の紙片からなる雑張に整理される、平安時代初期(弘仁14年(823)以降)の常陸国の戸籍についての論考です。杉本一樹「常陸国戸籍の復原と翻刻」(『日本古代文書の研究』吉川弘文館、2001所収)の復原案を再検討し、湿損による破損やシミ、そして墨移りを手がかりに、新たな復原案を提示しています。