第42回定期研究会が開催されました
2024年11月2日(土)に、第42回定期研究会が開催されました。
第1報告の阿部栞央報告「正倉院文書にみえる「人名+所」の基礎的考察」は、正倉院文書に多くあらわれる僧尼の「所」が多様な要素を含みつつ僧尼の居所・集団を指すことを論じました。「所」を代表しうるのは受戒した僧尼に限られており、寺院内の特定僧侶の「所」には従僧が付いていたこと、そして従僧であった沙弥が受戒し比丘となると自ら「所」を持つようになり集団を再生産することなど、僧侶の活動形態を浮かび上がらせる興味深い指摘がなされました。
第2報告の矢越葉子報告「写経帳簿からみた敦煌文書」は、敦煌文書のコレクションごとに含まれる文書の種類が異なる分布を見せることが、蔵経洞内のどこから文書を持ち出したかに起因することを論じ、写経事業に関する帳簿・記録と書き損じにより廃棄された兌廃稿がそれぞれ蔵経洞内にどのようにまとめられていたのかを推定しました。敦煌文書がどのようにしてそこに置かれたのか、当時の姿が見えてくるような研究でした。
第3報告の内田敦士報告「正倉院文書と仏教儀礼」は、正倉院文書にみえる経典の貸出記録などから、当時の僧侶らが仏教儀礼に関係する経典を比較・研究しようとしていたことを論じました。中国で行われた儀礼よりも経典に記された儀礼を取り入れようとしたという指摘や、道鏡が経典を通じてインドの仏教儀礼を志向していたとの展望は、今後の儀礼研究にも関わる論点といえるでしょう。
第4報告の市川理恵・吉田恵理報告「静嘉堂所蔵「仏説中心経」と民屯麻呂の筆跡」は、願文の記載や、「内家私印」押捺の意味を検討し、さらに書写者の民屯麻呂が正倉院文書において「仏説中心経」を書写した記録のある民長麻呂と同一人物であることを筆跡から解明して、当該経典が光明皇后発願の五月一日経であることを示しました。1000年以上残されてきた五月一日経の一巻が再び「発見」されたことは、大変貴重な成果です。
突然の大雨に、会場近くの南大門前が水浸しになったり、新幹線がとまったりとハプニングが続きましたが、研究会には46名の参加があり、また久々に再開した懇親会も大変な盛況でした。
次回は、2025年10月25日(土)午後、奈良市内での開催を予定しております。