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2011年1月

2011年1月12日 (水)

百済の「赤米」木簡

日本の木簡研究の発展が、正倉院文書の存在なしには語れないことは、いまや周知の事実でしょう。8世紀の文書資料群が、そのまま残されている稀有な存在として、正倉院文書は出土文字資料の研究に大きな役割を果たしてきました。

こうした状況は、もはや日本国内だけのものではありません。近年、韓国でも木簡の出土があいつぎ、木簡研究がさかんになりつつあります。そして韓国木簡を検討する場でも、正倉院文書は活用されています。そうした状況を最新ニュースからご紹介します。

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百済木簡から「赤米」の文字を確認 (連合ニュース 2011年1月10日)

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古代日本の木簡や古文書に、朝廷への献上物として時おり見られる、米の一種「赤米」。この「赤米」が、百済時代の木簡からも確認された。

埋蔵文化財専門調査機関である扶余郡文化財保存センターは、昨年10月、忠南扶余邑旧衙里に所在する、扶余中央聖潔教会の増築工事予定地を発掘調査した結果、百済時代の木簡8点を収拾し、そのうち1点に「太公西美前部 赤米二石」と読める墨書が確認されたことを、10日発表した。保存センターは今回の発掘成果を、今月7日に清渓川文化館で開かれた韓国木簡学会定期発表会において報告した。

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この木簡によって初めて確認された「赤米」は、日本では飛鳥京遺跡出土木簡中に、朝廷へ捧げる献上物のひとつとして見られ、藤原京や平城京などの木簡にも見ることができる。さらに、日本古代皇室の宝物倉庫である正倉院に所蔵された文書中にも、地方から中央朝廷に赤米を献上したという記録がある。

このような日本の発掘成果をふまえると、今回扶余で出土した木簡に見える「赤米」もまた、地方から捧げられた貢物の一種と推測される。

あわせて他の木簡からは、百済の5つの首都行政区域のうち、「前部」「中部」「下部」の文字が発見され、百済行政統治の実状を垣間見ることができる。

また調査では、多量の木製品や磁器類、土器類、金属類、石器類、草本類、動植物遺体類などの、百済時代の遺物が確認された。 今回確認された一部遺跡では寄生虫が検出され、トイレ遺構との推定も出ている。

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さっそく、奈良文化財研究所の木簡データベースで「赤米」を検索してみると、18点ヒットしました。平城宮出土が11点とダントツに多く、そのほかに藤原宮・飛鳥京・石神遺跡などがあります。記事のとおり、地方から献上された「赤米」につけられた荷札が多いようです。

そのなかに、平城宮造酒司推定地からの出土木簡も含まれているのが注目されます。「尾張国正税帳(天平六年度)」によると、大炊寮に酒料として赤米 が納められているのです(大日古1-608)。また「大倭国正税帳(天平二年度)」にも「赤舂米」が登場します(大日古1-398,405,408,411)。

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関根真隆『奈良朝食生活の研究』(吉川弘文館、1969年)で、「赤米」の項目を参照してみましょう(17頁)。ここでは、正税帳のほかにも「越前国足羽郡書生鳥部連豊名解(天平宝字三年五月廿一日)」(大日古4-366)を示した上で、「これら大和、尾張、越前、あるいは(出土木簡より)播磨等各地に 産しており、当時かなり広範囲に栽培されていたことを思わす」と述べておられます。

また関根氏は、コメに関する専門的研究を参考に、「赤米とは悪条件に強いより野生的な米であったのであり、これは今日からみてかなり粗放であった と思われる奈良時代の稲作に適した品種であった」とされています。

さらに、「杜甫や蘇東坡の詩にみる紅蓮米・桃花米・紅鮮・紅罷亜などはこの赤米のことというが、さすれば中国においても八~十二世紀頃に栽培してい たことは確実で、わが奈良時代の赤米もいずれ大陸より伝来したものとみて間違いあるまい」とあります。

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今回の百済木簡の発見は、日本史の立場からみれば、赤米伝来の足跡を文字資料によってつかまえることができた、とも評価することができるでしょう。 新しい発見が続く韓国木簡。これからも目が離せませんね。

2011年1月 8日 (土)

【たび】西安(シーアン)今昔

冬は史跡踏査に最適な季節!鬱蒼と繁った青葉も落ちて地形を見渡せるし、観光客もまばらで、ゆっくり見て回ることができますよね。

そこで今回は、正倉院にも縁の深い、唐の都〈長安〉の現状をご紹介します。尖閣問題の影響からか、中国便が格安になっているこの冬、西安旅行はいかがですか?

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昨年12月、中国陝西省の西安(シーアン)へ行ってきました。2000年5月にも一度訪れているので、実に10年ぶりの再訪です。

中国各地で進められている大開発。西安も例外ではなく、街の中心部では地下鉄工事の真っ最中。城壁外にも大規模な住宅街が建設されています。それにともない、史跡も様々に整備されている様子。

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その史跡整備の代表格が、大明宮です。唐朝第2代皇帝である太宗が、城外北東部に造営した宮で、歴代皇帝の多くはここで政務をとり、生活をしました。市街地からはずれているため、遺跡の残存状況も比較的よく、含元殿や麟徳殿などの建物址も見ることができます。

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10年前、路地を車で抜けて到着した大明宮は、草の生茂る広大な敷地にポコポコっと基壇の高まりが残り、わずかに整備された麟徳殿址や遺址陳列館があり、目を引くものといえば復元工事中の含元殿くらいだったでしょうか。

ところが昨年10月1日、国慶節にあわせて「大明宮国家遺址公園」がオープンし、実に3.5平方キロ(平城宮跡の約3倍)にも及ぶ敷地が遺跡公園として整備され、大明宮址はすっかり変身しました。

大明宮国家遺址公園 http://www.dmgpark.com/  ※とても重いです

まずは公園の正面入口となる、南門〈丹鳳門〉。

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いきなりの巨大復元建築に度肝を抜かれます。脇のスロープから上ることができます。

丹鳳門を抜け、広場を700メートルほど北上すると、有料区域のゲートに到着。ゲートを過ぎるとすぐに含元殿があります。

10年前は、含元殿の発掘調査と、基壇の復元工事が進行中でした(西南から撮影)。

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今回は基壇がすっかり完成し、コンクリート要塞に(東南から撮影)。

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実は、遺跡公園がキチンと完成しているのはここまで。含元殿より北側(公園敷地の3分の2以上)は現在も工事中で、多くの作業員さんが仕事中です。(なのに観覧料金はそのままで、納得がいかない…)

含元殿の裏手には、地下式の〈遺址博物館〉が。ただし建設中です。

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10年前にも、たしか麟徳殿の前に、〈遺址博物館〉がありました。

2000_3 さらに北上すると、宣政殿や紫宸殿となります。これらは遠目には復元建物があるかのように見えるのですが…

2010_4 近付いてみると、骨組みだけで上手に錯覚させています。

2010_5 ここまでで、公園の南半分程度。北にはさらに太液池や麟徳殿が広がるのですが、3時間以上歩き続けた上に、日も傾いて断念。スケールの大きさを身をもって体験しました。

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つぎに天壇です。皇帝が天の祭祀をおこなう天壇といえば、明・清時代に用いられた北京の天壇が有名ですが、唐の長安にも天壇があります。唐代の城壁よりも南、陝西師範大学の敷地に南接して、天壇が残されています。

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まずは10年前の姿。3段テラスがあることはわかるものの、まだ土がかぶった状態。

2000_4 その後、天壇の発掘調査がおこなわれ、白い漆喰に覆われた階段状の遺構が掘り出されました。発掘後に取り付けられたらしい木の階段は、今ではすっかり腐って穴だらけ。当初は白く輝いていたという漆喰も、剥落がはげしい…。

2010_6 現在、天壇入口の門は施錠されていますが、近隣住民のアドバイスにしたがって、柵を乗り越え参観することができました。

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最後に、唐代ではないのですが、前漢第4代皇帝・景帝の墓である〈陽陵〉です。西安郊外に所在するものの、空港近辺のため、比較的手軽に訪問することができます。

2010_7 ここには、すでに10年前の段階で、立派な資料館があったのですが、さらに出土した陪葬坑をそのままの状態で見せてくれる、地下展示室が誕生していました。

2010_9 10年前には野外でみた陪葬坑ですが、今ではガラス張りの足元にキレイに保存され、じっくり観察することができます。

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10年ぶりということもありますが、あまりの変貌ぶりに驚くばかりの西安への旅。見やすくなったのはありがたいものの、コンクリート造りの遺跡はどうも…。このほかにも、昭陵なども「美しく」整備されており、やや興ざめしてしまいました。

ともあれ、今後さらに成長していく大明宮には、要注目です!

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